『死ぬ瞬間   死とその過程について 完全新訳改訂版
より抜粋

E・キューブラー・ロス (鈴木晶=訳)

読売新聞社・刊



1 死の恐怖について

   危険から守られることを祈るのではなく、
   恐れることなく危険に立ち向かうような人間になれますように。
   痛みが鎮まることを祈るのではなく、
   痛みに打ち勝つ心を乞うような人間になれますように。
   人生という戦場における盟友を求めるのではなく、
   ひたすら自分の力を求めるような人間になれますように。
   恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、
   ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように。
   成功のなかにのみ、あなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、
   自分が失敗したときに、あなたの手に握られていることを感じるよ
   うな、そんな人間になれますように。
          ルビンドラナート・タゴール
          『果実採り』より



 伝染病は過去何世代にもわたって多くの人びとの生命を奪ってきた。かつては乳幼児の死亡率が高く、幼い子を一人も亡くしていないという家庭は少なかったが、ここ数十年の間に医学はめざましい変化を遂げ、予防接種が普及し、西ヨーロッパやアメリカではほぼ根絶された病気も多い。化学療法、とくに抗生物質の使用により、伝染病で死亡する者の数は着実に減ってきたし、育児環境が改善され、教育が普及したおかげで、子どもの罹病率や死亡率も低下した。若者や壮年の命を奪ってきた病気の多くも克服された。それとともに老人の数も増えた。だがそれにともなって、老齢にありがちな悪性腫瘍や慢性病の患者が増えることになった。

 小児科医は、生命の危険をともなう急性の病気を扱うことは少なくなり、心身症、適応障害、行動異常のある子どもを診ることが多くなった。病院の待合室には、心の問題で悩む人びとがこれまでにないほど増えた。それに加えて、身体に衰えや障害を抱え、寂しさや孤独感からくる肉体的・精神的苦痛にあえぐ老人たちも多くなった。そうした人たちのほとんどは精神科医の世話にはならない。彼らの要求は医師以外の専門家、たとえば病院牧師やソーシャルワーカーが汲み上げ、満たさなければならない。ここで、そうした専門家たちのために、過去二、三十年にいったいどんな変化が起きたのかを簡単に述べておこう。この変化こそが、死に対する恐怖感を高め、精神的な悩みを抱えた人びとを増やしたのである。またこの変化ゆえに、死とその過程を理解する必要性、それらにうまく対処する必要性が増してきたのである。

 過去を振り返り、昔の文化や人間を研究してみて驚くのは、死はこれまで人間にとってつねに忌むべきことであり、今後もつねにそうでありつづけるだろうということである。精神科医の立場からすると、それはよく理解できる。そのような考え方がどこから生まれるかといえば、私たちは無意識のうちに「自分にかぎって死ぬことは絶対にありえない」という基本認識をもっているからだ。私たちの無意識は、自分の命が本当にこの世で終わるとは思っていない。自分の命が終わらなければならないとするなら、それはつねに他人による外部からの悪意ある干渉のせいだ。簡単にいえば、私たちの無意識にとっては、死ぬのは殺されるときだけであり、自然現象や老齢のために死ぬなんて考えられないのだ。そのために、死は、それ自体が報いや罰をまねくような悪い行い、恐ろしい出来事を連想させるのである。

 右のような基本的な事実を知っておくことは、患者が私たちに伝えようとしているもっとも重要なことを理解するのに不可欠である。この点をしっかり念頭におかなければ、患者が何を言おうとしているのか理解できないだろう。

 もうひとつ理解しておかなければならないのは、無意識のなかでは願望と行為の区別がつかないということである。だれでも矛盾した夢をみることがある。そこではふたつのまったく相反する言い分が同時に存在しうる。目覚めているときにはとても考えられないような不合理なことが、夢のなかではまかり通るのだ。無意識は、だれかを殺したいという怒りにみちた願望と、実際に人を殺す行為とを区別できない。同じように幼児もまたこの区別ができない。母親が自分の言うことを聞いてくれなかったために、幼児が癇癪を起こし、「ママなんか死んじゃえ」と言ったとする。もし母親が実際に死んでしまったら、その子は深刻な精神的打撃を受けるだろう。「ママなんか死んじゃえ」と言った時点からずっと後になって母親が死んだとしても、子どもが打撃を受けることには変わりはない。幼児はかならず、母親が死んだのは一部にしろ全部にしろ自分のせいだと思いこむ。幼児はいつまでも自分に対して「ぼくがやったんだ。ぼくのせいだ。ぼくが悪かったんだ。だからマミーはいっちゃったんだ」と言いつづけ、めったに他人のせいにはしない。両親の離婚・別居・家庭放棄によって親を失ったときも、幼児は同様の反応を示す。離婚の場合は別れた親にまた会えるわけだが、幼児は死を永久的なものと見なさない傾向があるので、親の死と離婚との違いがよくわからない。

 「このワンちゃん埋めてやるんだ。そしたら来年の春、花が咲くころ、また起き出してくると思うんだ」。多くの親は子どもがそんなことを言っていたのを覚えているだろう。たぶんこれは、古代エジプト人が死者に食べ物や品物を供えて、死後も幸せでありますようにと願い、かつてのアメリカ先住民が、近親者が死ぬと身の回りの品とともに埋葬したのと同じ気持ちにもとづいているのだろう。

 幼児もやがて成長し、人間の力はじつは万能ではないこと、いかに願望が強くとも不可能を可能にする力はないことに気づく。すると、自分が愛する者を死なせてしまったという恐怖感は薄らいでいき、それにつれて罪悪感も軽くなっていく。そして、よほど強い刺激を受けないかぎり、恐怖感は小さく抑えられたままである。だがその恐怖感のなごりは、病院の廊下で、遺族と思われる人びとの言動のなかに日常的に見ることができる。

 長年にわたって喧嘩ばかりしていた夫婦がいたとする。ところが妻が死ぬと、残された夫は髪をかきむしり、大声で泣きわめき、後悔と恐怖と苦悩から自分の胸を激しく叩く。そして自分の死をいっそう恐れるようになる。彼は復讐法――目には目を、歯には歯を――をいまだに信じているのだ。「おれのせいであいつは死んだ。その報いで、おれはきっと惨めな死に方をすることになるだろう」というわけだ。

 そうしたことを考えれば、何世紀も前から行われてきた、神(ときには人間)の怒りを鎮め、下されるであろう罰を軽くするための古い習慣や儀式が理解できるだろう。いま私が思い浮かべているのは、古い時代の灰、破れ衣、ベール、泣き女である。これらはすべて、悲しみに沈んでいる人びとに哀れみをかけてほしいと願う手段であり、悲しみ・嘆き・恥を表すものだ。もしだれかが嘆き、胸を激しく叩き、髪をかきむしり、食を断っていたとしたら、それは愛する者を死なせたことに対する罰を免れるか軽くしてもらうために、自分に罰を課しているのである。

 この嘆き・恥・罪悪感は、怒りや憤慨といった感情とあまりかけ離れていない。悲しみにはつねにある程度の怒りが含まれている。だが、だれだって死者への怒りは自分で認めたくないので、その感情はしばしば隠蔽され、抑制されて、悲しみを長びかせ、他のかたちで表れることが多い。だからといって、私たちはこれらの感情を悪いとか、恥ずべきだとかと審判を下すのではなく、その真の意味と根源はきわめて人間的なものであることを理解しなければならない。そこで、ふたたび幼児――そして私たちのなかにある幼児性――を例にあげよう。母親を失った五歳の幼児は、母親がいなくなったことで自分を責めると同時に、自分をひとりぼっちにした母親、もはや要求をみたしてはくれない母親に対して怒りも感じている。すなわち死者は幼児にとって、愛し、求めてやまないものであると同時に、悲しい離別を引き起こした非常に憎むべきものでもある。

 古代ヘブライ人は死者の体を、触れてはならない不浄なものと見なした。昔のアメリカ先住民は悪霊の存在を信じ、それを追い払うために空中に矢を放った。他の多くの民族にも「悪い」死者をなだめる儀式がある。これらはすべて、自分では認めたくないが、しかし私たちの心に依然として存在する、怒りの感情から発したものである。墓石を立てる伝統は、悪霊を地下深く封じ込めたいという願いから来ているのかもしれないし、会葬者たちが墓の上に小石を乗せるのも同じ願いを象徴しているのかもしれない。軍葬の際の礼砲を私たちは最後の敬礼(ラスト・サリユート)と呼ぶが、これはアメリカ先住民が槍や矢を空中に放ったのと同じ象徴的な儀式である。

 右のような例をあげたのは、人間は基本的には少しも変わっていないのだということを強調したかったからである。死は今なお怖く恐ろしい出来事である。そして死の恐怖は、もう克服したと思っていても、程度の差はあれ、いまだに万国共通の恐怖なのである。

 変化したのは、死・死の過程・死に瀕している患者に対処する私たちの姿勢のほうである。

 私はヨーロッパのある国で育った。当時その国では科学はそれほど発達しておらず、近代技術科学がやっと医学に応用され始めたばかりで、人びとは半世紀前と変わらない生活を送っていた。そのおかげで、私は短期間のうちに人類が進化する一部を見る機会に恵まれた。

 子どものころ、ある農夫の死に出会った。その農夫は木から落ち、助かりそうもなかった。彼は家で死なせてくれと言い、その願いはだれからも反対されずにかなえられた。彼は寝室に娘たちを呼び、それぞれと二人きりで数分間ずつ話し合った。激痛に耐えながら、彼は冷静に身辺整理をし、自分の持ち物と土地を分け与えた。ただし土地は妻が死ぬまで分割してはならぬという条件を付けた。また娘の一人ひとりに、彼が事故の直前までやっていた仕事・義務・事業を分担して続けるよう指示した。友人たちにさよならを言いたいからもう一度家に来てくれるよう頼んだ。当時、私はまだ幼かったが、その農夫は私や私の妹たち(訳注・キューブラー・ロスは三つ子の長女だった)に帰れとは言わなかった。私たちは彼が息を引き取るまで、彼の家族と悲しみを共にすることを許され、いっしょに心の準備をした。彼は死んだ。でも自分が建てた愛する家にそのまま安置され、彼の死に顔を最後に一目見ようと友人や近隣の人びとが集まってきた。彼は、これまで生活し、深く愛した自分の家で、花々に囲まれていた。その国では今でも、死者のための「仮眠室」や、死体防腐処理、眠っているように見せかける死に化粧はない。病気のせいで顔が醜くなったときだけ包帯で巻き、伝染病による死者の場合のみ埋葬前に家から運び出される。

 なぜこのような「旧式な」慣習を紹介したかというと、こうした慣習は死を受け入れていることの証拠ではないだろうか。同時に、死んでいく患者が死を受け入れるのを助けるだけでなく、その家族が愛する者の死を受け入れる助けにもなる。もし患者が、慣れ親しんだ最愛の家で最期を迎えられるならば、患者のための特別なことをあれこれ考える必要はない。家族は彼のことをよく知っているから、鎮静剤の代わりに好きなワインを一杯与えるだろう。自家製スープの香りが食欲をそそり、二匙、三匙は喉を通るかもしれない。このほうが点滴よりずっとうれしいのではないだろうか。といっても鎮静剤や点滴の必要性を過小評価するつもりはない。私は田舎医者としての経験から、ときには鎮静剤や点滴が救命に役立ち、無視できない場合が多いことは十分承知している。しかしながら、忍耐と家族と好きな食べ物が点滴液の代わりになりうることも事実である。そもそも点滴が用いられるのは、大勢の人の手を煩わさず、個別の世話をしなくても身体に必要なものを与えることができるという単純な理由からにすぎない。

 子どもにしても、不幸があった家にいさせてもらえ、会話や議論や恐怖の仲間に入れてもらえさえすれば、悲しみのときでもひとりぼっちではないという気持ちになれるし、責任を分担し、共に悲しむことで慰めが得られる。そのことでじょじょに心の準備ができ、死もまた人生の一部なのだということを学んでいく。これは彼らの成長・成熟にとって貴重な経験である。

 それとはまったく対照的なのが、死をタブー視して、死を口にすることを忌み嫌い、「ショックが強すぎる」という先入観や口実にもとづいて子どもを除け者にする社会である。子どもたちはたいていの場合、「お母さんは長い旅に出たんだよ」という説得力のない嘘や信じられない作り話を聞かされ、親類に預けられる。子どもはなんか変だということを察知する。親類はまた違う作り話を聞かせ、子どもの質問や疑問にちゃんと答えず、子どもが悲しみの場に参加できないことへの粗末な代償として、やたらにプレゼントを与える。それによって、大人に対する子どもの不信感はますます深まる。おそかれ早かれ、子どもは家族状況の変化に気づき、年齢や性格によって違いはあるが、未解決の悲しみを抱えたまま、人の死を謎にみちた恐ろしい出来事と見なすようになる。いずれにしても、子どもは、信頼できない大人によって非常に深い精神的外傷をうけ、自分ではそれに対してどうすることもできない。

 弟を失った女の子に、「神様は小さな男の子がとても好きだから小さなジョニーを天国に連れていったんだ」と言い聞かせるのも賢明ではない。こう言われた女の子は一人前の女性になっても、神への怒りを棄てることができず、もし三十年後に自分が幼い息子を失ったら、鬱病にかかってしまうだろう。

 私たちは種々の束縛からかなり解放され、科学や人間についての知識を得たおかげで、自分自身も家族も、よりよい方法、手段で死の準備ができるようになったかもしれない。しかし半面、人が自分の家で安らかに尊厳をもって死ぬことができる時代は過去のものとなった。

 科学が発達すればするほど、私たちはますます死の現実を恐れ、認めようとしなくなる。それはなぜなのか。

 私たちは死に対して「婉曲法」を用いる。たとえば眠っているかのように死に化粧をほどこす。患者が幸いにも自分の家で死ぬと、大人たちの不安や混乱から守るために、子どもたちを遠くに追いやる。病院で親が死に瀕していても、子どもたちを見舞いに行かせない。患者に真実を告げるべきかどうかをめぐって、長々と激しい議論をする。だが死に瀕している者が家庭医に診てもらっているのであれば、そうした問題は起こりえない。家庭医ならば患者の誕生から死までを知っており、家族一人ひとりの長所や短所も知っているのだから。



 そのように冷静に死を直視するのを避ける理由はいろいろあるだろう。もっとも重要な事実は、今日、死の過程がいろいろな意味で以前よりつらいものになったということである。死の過程はより孤独に、より機械的に、より非人間的になった。ときには医師ですら死の瞬間がいつなのか決めかねる場合もある。

 死はますます孤独で非個人的なものになりつつある。それは患者が、慣れ親しんだわが家から運び出され、緊急救命室に急送されるからだ。重病になった経験のある人なら誰でも、ストレッチャーに乗せられ、救急車のサイレンの音と病院の門が開くまでの大騒ぎに耐えたことを思い出すだろう。そうした移送がいかに不快なものであるかは、経験した人にしかわからないだろう。しかもこの移送は長い試練のほんの序の口にすぎないのだ。それは健康なときだったらとても我慢できないようなものだ。騒音、照明、ポンプ、人声、そのどれもが耐えがたく、とうてい言葉では言い表せない。私たちは、シーツと毛布の下にいる患者のことをもっと考え、善意めかした能率主義と大騒ぎはやめ、患者の手を握り、やさしく微笑みかけ、質問に耳を貸したほうがいいのではないか。私の考えでは、病院までの旅はすでに死の過程の第一段階である。多くの人にとっては実際そうなのだから。私はこの出来事を、家にいる病人と対比させて、おおげさに述べている。だが、入院すれば助かる命を助けてはならないなどと言っているのではなく、患者の経験・要求・反応に焦点を合わせようと言っているのである。

 患者は、病気が重くなると、しばしば意見を言う権利のない人間のように扱われる。入院するかどうか、入院するなら、いつ、どの病院にするか、それを決めるのは当人ではないことが多い。だが、病人には感情があり、願望や意見がある。そして、これがもっとも大事なことだが、話を聞いてもらう権利がある。

 さて、患者が緊急救命室に着いたとする。彼は慌ただしく動き回るたくさんの看護婦、オーダーリー(看護助手)、インターン(実習医)、レジデント(住み込み研修医)、採血係、心電図技師などに取り囲まれる。やがてレントゲン室に移され、病状に関する意見や治療方針をめぐる議論、さらには家族への質問が耳に入ってくる。患者は少しずつ、だが確実に、物のように扱われはじめる。彼はもはや一人の人間ではない。あらゆることが彼の意見を聞かずに決まっていく。反抗しようとすれば鎮静剤を打たれ、何時間も待たされ、体がもつかどうか気をもまされたあげく、手術室か集中治療室に運ばれる。そして、大勢の人の関心の的となり、莫大な金が投じられることになる。

 休息と安らぎと尊厳がほしいのだと叫ぼうにも、点滴や輸血を受けていて、人工心臓装置に繋がれ、必要があれば気管切開までされてしまう。だれか一人でいいから、一分間だけでもそばに来てくれたら、ひとつだけ質問したいと願う。ところが、十人以上の人がベッドの回りにいながら、全員の関心は彼の心拍数、脈搏、心電図、あるいは肺機能、分泌物、排泄物だけに向けられ、人間としての彼には誰も目を向けようとしない。それに異議を唱えたとしても、すぐに黙らされることだろう――これらはすべて患者の命を救うための処置なのだ。患者の命が救えさえすれば、その後でゆっくり患者を人間として考えられるようになる。患者をまず人間として考えたりしていては救命の好機を失ってしまう!――この論理は少なくとも救急医療の根本原理または正当性を示しているようにみえるが、はたしてそうだろうか? ますます機械化され、個人の人格を無視した医療は、じつは治療する側の自己防衛メカニズムなのではなかろうか。つまり、このような医療は、末期患者あるいは重篤患者が治療する側に与える不安に対処し、軽減するための独特の方法なのではなかろうか。機械や血圧に関心を集中するのは、差し迫った死を認めまいとする私たちの必死の試みなのではなかろうか。私たちにとって死はとても恐ろしく不快なものなので、知識のすべてを機械に委ねてしまうのではないのか。もう一人の人間の苦しんでいる顔よりは、機械のほうが遠い存在だからだ。だが患者の苦しむ顔は、人間は全能ではなく限界や失敗があること、また、これがいちばん重要なのだが、人間は死ぬものだということを、もう一度、思い出させてくれるのではないだろうか。

 たぶんこういう質問が出るはずだ――「私たちは人間性を失ったのだろうか、それとも、人間性を増したのだろうか?」本書でその審判を下すつもりはないが、答えがそのどちらにせよ、患者の苦痛、それも肉体的苦痛ではなく感情的苦痛がより大きくなったことは確かである。患者の要求は何世紀も前から変わっていない。変わったのは、それを満たす私たちの能力のほうである。